やりたい事をみつけよう、という大罪
僕が大嫌いな言葉があるんです。
「やりたい事をみつけよう」ってやつ。
これはもう、こんな事を若者に言う大人は信用しなくていいと思いますよ。
大して考えてないからこういう事を言うんです。
僕がこの説が大嫌いな理由の最大なのはこれです。
10年後に仕事がなくなる理由
将来やりたい事を見つけたとして、それが将来無くなっている可能性が高いわけですよ。
であるならば、今ある選択肢から考える事がナンセンスじゃないですか?やりたいことを必死ブッこいて探し出したのにそれが10年後に無くなってる可能性の方が高いんですよ???
苦しむ若者を増やすな
だいたい、やりたい事は見つけるものではないですよね。
見つけ出すもんじゃなくて、そこにあるものです。もしくは自然と生まれてくるものです。
自然にやりたい事を持っている人を僕は否定しないですよ。頑張って欲しいと思う。
でも、大人達の戯れで”やりたい事を見つける”必要は断じてないです。
あれやこれや考えたとして、やりたい事とやらは見つからないです。
いろんな事を試して、「これだ!」となる可能性もあるけど、それはもう交通事故に近い確率です。
だから、やりたい事が見つからなくても、頼むから苦しまないで欲しいんです。
「私はダメな人間だ」なんて思わないで欲しいんです。本当にそういう人、多いから。
だいたい、そんな事をおっしゃる大人の皆さんはやりたい事を試行錯誤の末に見つけたんでしょうかねえ??
目の前にある仕事を、日常を、「これはこれで楽しいな」と思って日常を過ごしているんじゃないですかね。そしてそれは、そんなにダメな事なんでしょうか?
僕は、それは素晴らしい事だと思うんですよ。目の前の事を愛して、何が悪いんですかね。
大切なのは、「気持ちいいと感じるもの」を探す事
僕は、やりたい事はみつけなくてもいいけど、好きな事、気持ちいい事はみつけて欲しいなと思います。
人間は、万能じゃありません。好きな事も嫌いな事もあります。
だから、自分がどんな事をすると気持ちよくて、どんな事をするとストレスに感じるかをみつけて欲しい。そしてそれはきっとあなたの中に既にあるはずだし見つけられるはずなんです。
抽象的でも構いません。
かっこつけずに、苦手なものは苦手、と認めて欲しいんです。
自分のために、自分に嘘はつかないで欲しいんです。
それをしっかり自分で認識しておけば、多分迷わないです。
この先どんなに道が荒れようとも、苦労はするだろうけど迷わないです。
思い込みのような無理やりひねり出した「やりたい事」は将来なくなるかもしれないけど、 あなたが”好きな事”はなくならない。形を変えて、そこにあるはずです。
それを見つけるためにも、僕たちがしなくてはならない事は二つ。
一つ目は、行動する事。行動しないと、自分の好き嫌いは分かりません。
二つ目は、棚卸しする事。行動した事に大して自分なりに振り返って分析する事です。
世ではそれを、自己分析、と言います。
自己分析についてはまた今度書いてみようと思います!!