自分の軸(キャリアアンカー)を見つけ、一つずつ実績を積み上げていく事でキャリアを形成していく「キャリアビルディング」。今回は渡辺さんのキャリアビルディングストーリーをご紹介します。
早稲田大学を卒業後、都内の大手百貨店に就職した渡辺さんは、25歳の時に会社を辞め奈良に移住した。
「今思えば学生の就活の時にやっていた自己分析は、自分の進みたい方向に行くためのつじつま合わせをしてるだけだった」と語る渡辺さんは、社会人になって初めて自分の人生に向き合うことになった。
彼女が何を感じ、何を考えて奈良に移住したのか。その軌跡を追った。
*この記事は2019年11月時点の情報を元にしています
渡辺さんは物心ついた時から美術が好きでした。両親ともデザイン系の仕事をしていて、「花菜絵」という名前にも「絵」の字がついていたほど、彼女にとって「美術」は身近なものでした。
また父親によると、家族で行った高尾山の寺院で行われていた護摩の修行の様子を、幼い渡辺さんは瞬きもせずにずっと見ていたそうです。帰ろうと手を引っ張られてもその場を離れようとしなかったくらい、仏教の修行の光景に夢中になっていたのです。
大学受験勉強をしている時も、日本史の美術関連の勉強をしていると不思議と気分が高揚する自分がいました。どうやら自分は、日本の古典美術に興味があるようだ、と渡辺さんは考えました。
そこで彼女は、早稲田大学の美術史コースに進学します。ここでは古今東西の美術の歴史を学んでいました。フランス語を第二外国語で学んでいたことや、本物の美術作品を見てみたいという思いで、1年間休学してフランス留学に旅立ったこともありました。
また大学時代に多くの美術品が現存する奈良の魅力に取り憑かれ、奈良を何度も訪問。「将来はお寺に嫁いで奈良に永住する!」と本気で周囲に話していたほど、奈良に入れ込んでいたのです。
当時は意識してなかったけど、今思えば幼い頃からの「美術」「日本の伝統」に対する興味が、私のキャリアにつながっていました。
留学から帰国して彼女は就職活動を始めました。休学していたので同級生より1年遅れての就職活動。彼女が受けたのは「映画会社」「広告会社」でした。
彼女の当時の関心ごとは「人の心を動かす」。そんな仕事ができる業界はどこだろうと考えた時に、映画と広告が出てきたのです。映画会社は残念ながら不合格だったものの、広告代理店は大手企業の選考をトントン拍子で進んでいきました。
ただここで、彼女は全く別の会社に興味を持つことになりました。それが「百貨店」です。
百貨店には美術品を売ったり、日本の作家さんや職人さんの作品を販売するプロモーションを企画していたり、日本のカルチャーを守り促進していく側面があります。
百貨店文化を廃れさせない為にも百貨店に入社するのはアリかもしれないと考えるようになったのです。
こうして彼女は周囲の反対を押し切って広告代理店を辞退し、百貨店に進むことにしたのです。勿論彼女なりに考え、自分で選択したファーストキャリアでした。
しかし渡辺さんは入社して2ヶ月で「選択を間違えた」と気づくことになります。彼女が配属されたのはインテリア雑貨の部署で、そこではこれまで鑑賞用として接していた工芸品や、アーティスティックな雑貨を「ライフスタイルに取り入れていく」という新しい価値観に出会うことができました。
ただ、自分の仕事として考えたときにこのままでいいのか?と感じることが多くありました。
もともと彼女は学生時代に長期インターンでイベントを一人で企画したり来場者をもてなす仕事をしており、接客を含めた対人コミュニケーションには自信がありました。接客という仕事は自分に合っていると感じた一方、その時点で持っていた自分の実力で回すこともできてしまっていたのです。
新たに身につけるスキルも多くなく、このままここで働いていて自分は本当にいいのか・・・?と自問自答しながら社会人生活を過ごしていくことに。
でも「ライフスタイルにアートを取り込む」という新しい価値観も取り入れられて自分の人生も広がりましたし、百貨店に就職したこと自体は今でも後悔はしていません!
日々懸命に仕事はしていたものの、一度悩み始めるとどんどん悩みは膨らんでいきました。「そんな状態で生きている自分の現状が本当に嫌だった」と彼女は言います。
しかし、あまりに嫌だったことで自分の事が浮き彫りになりました。自分の仕事で生計を立てる状態で考える「自分の生き方」は、学生時代のそれとは全く違っていました。
”人生”が本格的に目の前に迫ってきた感覚がありました。
そして彼女は、自分のキャリアを考えることになります。ここで改めて「自分にしかできないこと、自分がすべきことってなんだろう」と考えるようになりました。
就活の時にも自己分析を一生懸命していたつもりでしたが、今思えばあれは「解が提示されている文法の穴埋め問題」みたいなものでした。
自分が興味があった広告や映画業界に、自分を結びつける要素を探しているようなもの。
当時の自己分析は”志望動機をひねり出すためのつじつま合わせのような作業”だったので、本当の自分を考えることはできていなかったかもしれません。
最初からすぐに答えが出たわけではありませんでした。時には「MCになろうか」とも考えました。
インターンでもイベントの司会を任されることが多く、人前に出るのも好きだったことや、プロのイベントMCとして活躍されている方との繋がりができたこともあり、自分に向いているのはMCなのではと真剣に考えていた時もありました。
つまり、完全に迷ってしまっていたのです。
悶々とした日々を送っている中で、たまたま見かけたInstagramが転機のきっかけとなりました。
ある女の子のアカウントを偶然発見したのですが、その子は渡辺さんと同じ年で、Instagramや各種媒体で仏像の魅力を発信する活動をしていたのです。年齢だけでなく容姿も似ていたその女の子を見て、渡辺さんは強烈に嫉妬することになりました。
同い年で好みも見た目も私とよく似た人が自分の道を突き進んで活動してる。それなのに自分は何をやってるんだろうな、と。
いつか奈良に住みたいと思っていたのに、その夢を「いつか」と先延ばしにして、中途半端に「今」を生きているだけなんじゃないか、と。とにかく猛烈に悔しかったんです。
それからの彼女はとにかく早かったようです。「奈良」を自分の道にしようと決めたのです。
奈良に住むために奈良で働こうと決意し、奈良にある会社を調べ、運よく強い関心を持つ会社を見つけました。
そして学生時代につながった奈良の人脈を活かし、その会社に訪問。奈良移住を決意してからわずか3週間で転職活動を完了してしまいました。
自分の好きなものに嘘をつかずに生きていこうと思ったんです。私は両親も姉もみんな独立して働いているので、いつかは私も身一つあれば生きていけるようになりたいとも思っています。
東京の大企業もいいところはありますが、ある程度キャリアパスは決まってる。そうじゃなくて、自分の生き方は自分で決めたいなと。
お付き合いしている人もいましたが、彼自身も心から応援してくれたので、迷いも無く遠距離恋愛に突入。まあなんとかなるか、と。(笑)
渡辺さんが新しい仕事として選んだのは、奈良最大のタウン情報を扱っている会社。奈良のあらゆる情報が入ってくるし、奈良の中で開催される企画イベントにも多く関わっています。まさに彼女は「奈良にどっぷり浸かっている」生活を送っているのです。
1年間のフランス留学以外は東京でしか住んだ事がなかった渡辺さんですが、奈良は驚くほど自然に馴染めたと言います。奈良には、太古から続く歴史と芸術文化が今でも根付いています。幼い頃から無意識のうちに日本文化や芸術に親しんでいた彼女にとって、奈良は特別な場所だったのです。
将来は「奈良と言えば渡辺」と言われるくらいになりたいと彼女は考えています。奈良のことならなんでも知ってる人、というポジション。奈良に関する企画をする際にプロデューサーとして入ったり、とことん奈良の魅力を発信していくことで「ローカルと都市」をつなぐ役割も果たしていきたい、と語ります。
その為にも、奈良を自分の場所に。渡辺さんは今日も奈良中を飛び回り、自分のキャリアを一つ一つ、積み上げています。